上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
マネージャーのゴメルスキーはヤードバーズの人気を利用して、各メンバーのソロを計画する。

まずはキースレルフのシングルを発表するが不発、そのためにジェフのインストアルバム計画は実現せず。

ジェフはヤードバーズ脱退を決める前にプロデューサーのミッキーモストと契約を交わしていた。

ヤードバーズ在籍時のジェフとジミーページそしてキースムーン('the who)ジョンポールジョーンズ、ニッキーホプキンスの強豪メンバーでベックのボレロを録音する。

66年の10月~11月ヤードバーズ米ツアー中にもレコーデイングが予定に入っていた。

ジェフとミッキーモストはハリウッドを離れたくない、といいだしジェフは女が出来てしまう。ツアーに戻ったが、2日目にはジェフはもうたくさんだと云って、ハリウッドに戻り

そのままバンドに戻らず66年12月に脱退する。

モストとの契約は、コマーシャルな曲を録音し、ポップスターになるのが目的だった。

半分遊びのつもりでレコーデイングした「ハイホーシルバーランニング」は、ヘタな歌とバックにモストがコーラスを入れたジョークのようなものだった。

67年3月にアタックとの競作シングルとして発表。

イギリスのクラブで大ヒットし14位となる。おかげでダーリン オブ デイスコ テイックとあだ名を付けられる。

突然バンドを飛び出したジェフは自分のグループを持たなければならなかった、

そしてクラブ パブで歌うロッドスチュアートを捕まえ、ジェフの脱退を知ったロンウッドが電話をかけて来て徐々にグループを作り出した。

この頃のエフェクターはまだしょぼくトーンベンダーとエコー、そして例のボトルネックぐらいだった。
スポンサーサイト

テーマ : 洋楽 - ジャンル : 音楽

<< 68年8月記念すべきファーストアルバムの前夜 | Home | ギター殺人者ジェフベック3 >>

コメント

コメントの投稿

URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。